
薄雪
レビュー
starting over. やり直しという意味。 書店で美麗な表紙から思わずまさにジャケ買い。 これが当たりで、一気に読み終えました。 よくある2回目の人生やりなおしものなんですが、1回目の人生が最高であったことからそれを繰り返そうとしたら失敗して、最低な人生を送ることになってしまうという話し。 1回目に付き合えた素敵な彼女ツグミとの交際にも失敗し、通っている学校でも引きこもってしまう。また、同様に順調な生活を送っていた妹も暗いインキャになってしまう。 主人公の代わりに学校で華々しい地位を手に入れたのは、トキワだった。彼がいた人気者のポジションにトキワが収まり、ツグミとも付き合っていく。主人公はトキワの殺害計画を立て、彼を尾行することでチャンスを伺っていく。その生活の中で暗い生活を送っている同級生ヒイラギに出会う。主人公がツグミを追うように、彼女はトキワを好きになっていた。 主人公はある時気づく。 彼女もまた2回目の人生を送っている存在であると。また、そもそも1回目の人生で主人公がつきあっていたのは、ツグミではなく、ヒイラギであったと。主人公がそれを忘れ交際を申し込む相手をまちがえたために、全てが変わってしまった。 1周目の人生において、主役的なポジションを務めていた主人公とヒイラギは、それを務められなった代わりに、トキワとツグミのペアがそれをこなすようになっていた。 クリスマスの夜になぜか同じサンタのバイトを選んだ主人公とヒイラギ。そのバイトの最中、主人公は思いだす。クリスマスの夜のドライブで主人公とヒイラギはstrating overの曲を聴きながらドライブをしていた。その最中事故で死んでしまう。このままではトキワとツグミが死んでしまう、と。 ヒイラギの手を取り、バイトを脱走し、雪の中に2人を助けにいく主人公。 「自分が自分らしくないことをするってのはさ、多分人生に起こることの中で1番面白いんだよ。人が自分自身からも自由になれるんだってことを証明することで、何かに対して一矢報いたような気になれて、気持ちがよかったね。」 2人を救った主人公とヒイラギは抱き合う。 もう一度ここからやり直そうと… ブルーライト文芸にあるようなキラキラした話ではないです。人の妬みや影のある人生の辛さ、それとひたすら向き合ってきた2人が、人生を肯定するまでの過程を描く青春小説ではないかと。 ジョンレノンの『starting over』 I know time flies so quickly 月日は瞬く間に過ぎていく But when I see you darling だけど愛しい君を見ていると It's like we both are falling in love again 僕らはまた恋に落ちていくようで It'll be just like starting over - starting over まるで最初からやり直すみたいだ 幸せって。 いま手に持っているものを、なんども繰り返して味わえるか、やりなおせるかってことなんじゃないですかね。
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スターティング・オーヴァー
三秋 縋
一年に一回づつ、夏は訪れる。そんな書き出しで始めるこの小説。 三秋縋さんの『君が電話をかけてきた場所』 主人公・深町陽介は、顔の右半分に大きな痣を持つ高校生。その外見から自信を持てず、また他人にも避けられてきた。そのため、中学生時代は不良として過ごしてきた。 ある日、道を歩いている時に近くにある公衆電話が鳴る。受話器を取ると、謎の女性から「賭けをしませんか?」と持ちかけられる。その内容は、痣を消す代わりに、初恋の相手・初鹿野唯と恋人になってみせよ、というもの。賭けに乗った陽介の痣は消える。 高校に進学した陽介は、痣がないこともあり、クラスに溶け込んでいく。隣の席の少女、荻上千草やサッカー部員永洞とも仲良くなる。そして、ある日初鹿野唯とも再会する。 しかし、彼女は… 夏と海辺の街を舞台とした三秋さんの作品、下巻に続きます。

君が電話をかけていた場所
三秋 縋
三秋縋 恋する寄生虫 高坂賢吾は強迫神経症だった。何かに触ったら手を洗わないと気が済まないし、外出したらシャワーを1時間は浴びないと落ち着かない。健全な社会生活は諦めていた。ではあるが優秀なプログラマーの才能があった彼は、クリスマスに発動するコンピュータウイルスをインターネットにばら撒く。 そんなところに、和泉という男が現れる。コンピュータウイルスの件を知っていると脅迫してくる和泉。高坂への要求はひとつ。不登校の高校生、佐薙ひじりと友人になれ、と。謝礼は払うといく。 ひじりに会いに行く高坂。金髪で大きなヘッドフォンをつけた娘であった。そして、そっけないひじり。しかし、彼女は、泉からの謝礼の半分を要求し、高坂との付き合いを容認する。2人の付き合いはやがて…。 精神的に明らかに健康とは言えない欠陥を抱えた2人のお話です。2人の恋は、寄生虫によるものでしょうか?操られた2人の感情は愛とは言えないのでしょうか?そんなことはどうでもいいのです。悲しみの涙の中で眠りにつくひじりは、それでもとても幸せそうでした。 幸せかどうかはその人が決めることなのだから。
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恋する寄生虫
三秋 縋
三秋縋 いたいのいたいの、とんでゆけ 湯上瑞穂は、小学生の頃から転校を機に日隅霧子と文通をしていた。ところが再会したいという霧子の誘いを断り、文通をやめてしまっていた。大学4年生のときに、親友の進藤を自殺で失い、瑞穂は人生に失望することになる。ある日、霧子に再会したいという手紙を出し、待ち合わせ場所に向かう。しかし、霧子は現れず、やけになり飲酒運転をしていた彼は、少女を轢いてしまう。しかし、その少女は、死の瞬間を「先送り」する能力を持っていた。死ぬまでに10日間の猶予を得たという。ただ、いずれ死んでしまう彼女の手伝いをし、彼女の復讐劇の片棒を担ぐことになる… 筆者の三秋さんも書いていますが、落とし穴に落ちてしまってそこから2度と抜け出せなくなってしまった人々のお話しです。私も、他の人々も物語が大好きで。幸せなお話が好きです。でも、この話はそうじゃない。痛くて辛くてとても苦しい。しかし、そこでもかすかな幸せを人は見出すことができるかもしれない。そんなお話です。 辛い境遇に落ちてしまった人々に送ることば いたいのいたいの、とんでゆけ
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いたいのいたいの、とんでゆけ
三秋 縋
三秋縋 三日間の幸福 主人公のクスノキは幼き頃から人と距離を取り、周りの人間を冷笑する癖のある子供だった。10歳のときはやはり同様の性格をもっていた女の子ヒメノと出会い、つるむようになっていた。2人はもし20歳の時までお互い相手がいなければいっしょになる約束をする。そんなある日、学校の授業で人間の命はお金にするといくらか、といった話を担任から聞き、なぜかそれが心に残る。 20歳になるころまで、その性格からクスノキは孤立した生活を送ってきた。その人生に悲観した彼は、街中で見つけた店で自分の残りの寿命を査定してもらう。30万という金額をつけられたクスノキは、やけになって余生を3ヶ月のみ残し売ってしまう。余生を売ったクスノキには、その挙動を見張るための女性の管理人ミヤギがつく。 クスノキはミヤギともに、残りの3ヶ月を過ごすことになるが…。 とても美しい作品です。 生きていこうとすると、人生はとても苦しく、周りが見えない時があります。ただ、自分があと何日で死ぬと分かった時。その時初めて、世界の美しさや、愛の素敵さ、その喜びがわかるのかもしれません。 なんて逆説的で悲しいんでしょうね。この世界の美しさと残酷さ。
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三日間の幸福
三秋 縋
浅田次郎選の光文社文庫の短編集『人恋しい雨の夜に』 タイトルとジャケットから買ってしまった作品です。 トルーマン・カポーティ「ミリアム」 不気味で幻想的な雰囲気を持つ物語です。主人公は孤独な老婦人ミラー夫人。彼女はある雪の日に映画館で謎めいた少女ミリアムと出会います。この少女は、夫人の生活に徐々に入り込み、彼女の静かな日常をかき乱していきます。 ミリアムは夫人の家に押しかけ、サンドイッチを作らせたり、夫人の大切なブローチを欲しがったりと、奇妙で不気味な行動を繰り返します。最後にはミリアムは大きな荷物を持って現れ、夫人の部屋に居座るようになります。この少女の正体は。 宮部みゆき「いつも二人で」 相原真琴は、あるマンションの部屋の留守番を頼まれます。するとその晩、姫野君絵と名乗る女性の幽霊に体に憑依されます。優しい真琴は君絵のために身体を貸すことを承諾します。生者の身体を乗っ取ってまで果たそうとする君絵の目的とは…。 芥川龍之介「蜃気楼」 主人公「僕」が友人たちと鵠沼海岸へ蜃気楼を見に行くところから始まります。しかし、期待していた蜃気楼は現れず、ただ砂の上に青いものが揺らめいているだけです。主人公たちが海岸を歩きながら、木札や靴などの不気味なものを見つけますが、とりたてて事件はありません。妻や友人たちは陽気ですし、話の起承転結もありません。なにか不思議な話です。 井上ひさし「あくる朝の蝉」 夏の日の郷愁を誘う、兄弟と祖母の切ない物語です。孤児院での生活に嫌気がさした兄弟は、夏休みに祖母の家に行きます。そして、ずっとそこに置いてくれるように頼みます。2人を哀れに思い、なんとか家に止めようとする祖母は…。昔の日本の夏の情景が郷愁を誘う話です。 魯迅「孔乙己」 社会の底辺に生きる人々の悲哀を描いた作品です。中国のとある貧村に孔乙己(コンイーチー)という人物がいました。学のある人物のようですが手癖が悪く盗みを働き職をよく失っていました。語り手は、孔がいるときは飲み屋で笑いが絶えないことを覚えています。 三浦哲郎「盆土産」 東京で働く父から電報が来ます。エビフライを盆の休みに持って帰ってくるそうです。祖母も姉も私も、エビフライが何か想像できません。列車とパスを乗り継いで帰ってきた父は、冷凍されたエビフライを揚げます。そのおいしさといったら。父は休みを1日半しかもらえなかったためすぐに帰京します。お盆の切ない思い出のお話し。 小泉八雲「日本人の微笑」 日本文化の美しさを描いた作品。日本人の微笑みの意味が探求されています 。 梶井基次郎「Kの焦点」 病気療養中の「私」が、N海岸で青年Kと出会います。Kは満月の夜に自分の影をじっと見つめる奇妙な行動をしています。Kは影を凝視することで、自分の魂が月へ昇っていくような感覚を得ると語ります。この出会いをきっかけに、「私」とKは親しくなり、療養地での時間を共に過ごします。やがてKは… 平家物語 平家の栄華と没落が描かれています 。 浅田次郎「ひなまつり」 主人公は小学6年生の少女弥生。彼女はシングルマザーの母親と二人暮らしをしています。母親は夜の仕事をしており、少女は一人で過ごす時間が多くなっています。紙製のひな人形を作ることに夢中になっている中、以前隣に住んでいた12歳年上の男性吉井さんが訪れてきます。吉井さんは、弥生を娘のようにかわいがり、弥生もまた彼が父親になってくれたらと願っていました。しかし、吉井さんはなぜか引っ越してしまいます。それでも、吉井さんは時折訪れて彼女を気遣い、本物のひな人形をプレゼントしてくれます。そんな吉井さんと弥生の関係を通じて、昭和の時代の少女の切なさと孤独を綴っています。弥生はオリンピックなんて大嫌い。仕事に疲れている母を少しも楽にしてくれないから。 胸にじんわりとくる作品が多い短編集でした。 選者の浅田次郎はこう述べています。 「美しい物語を読んでいれば、人生は汚れない。」

人恋しい雨の夜に
浅田次郎/日本ペンクラブ
中村融編、創元SF文庫の『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』です。時間旅行をテーマにしたSF作品の短編集で、ロマンティックな要素が強調されている作品が多いです。 私の好きな短編集です。 以下のような作品が収録されています。 ウィリアム・M・リー「チャリティのことづて」 時間を超えた友情を描いた作品です。 西暦1700年の夏を過ごすチャリティ・ペインと、1965年のピーター・ペインはお互いそれぞれの時代で重い病に侵され、熱にうなされることをきっかけとして、時を超えて会話できるようになりました。お互いの視界や味覚や嗅覚も共有できます。20世紀の世界を見てただひたすらおどろくチャリティ。18世紀の時代にて、20世紀の経験を喋ってしまうことに。そのことで、チャリティは魔女として疑われることに・・・。 デーモン・ナイト「むかしをいまに」 とても変わった小説。サリヴァンが交通事故で亡くなるシーンから始まります。時は少しづつ逆転していきます。サリヴァンは生き返り、年老いた妻のエミリーははだんだんと若返り、美しくなっていきます。仕事はだんだんと規模が縮小していき、ゼロからのスタートになります。子供は妻のお腹の中に納まり、生まれていない状態となります。エミリーとは出会う前の状態に戻り、サリヴァンは子供になり、母の葬儀に立ち会い、やがてとある病院の病室に向かった彼が見たものとは・・・。 ジャック・フィニイ「台詞指導」 この短編集の中で最も好きな作品です。ジェシカ・マクスウェルは駆け出しのとても美しい女優。ジェイクはしがない映画のセリフ指導係。 西海岸からニューヨークへ向かう列車の中で、ジェイクはジェシカにセリフの指導をしていました。残念ながらジェシカは恋愛の経験が薄く、優れた演技ができません。ニューヨークについた後の撮影においても苦労をしていました。ある晩、ニューヨークのマンハッタン市街にて、ロケ班は翌日撮影に使うバスを走らせていました。ジェシカもジェイクもバスに乗り込んでいました。ところがバスは・・・。 「愛はあとまわしにはできない。先延ばしにすれば死んでしまう」という言葉の重みを、時の流れの果てに味わえます。 ウィルマー・H・シラス「かえりみれば」 成人女性のブラウンは、教授の催眠術によって30年も過去へタイムスリップしてしまう。過去において天才として扱われそうになったブラウンは・・・・? バート・K・ファイラー「時のいたみ」 40歳のフレッチャーは、40歳の鍛え上げた体をもって、36歳のある日の朝にタイムスリップをしてきました。未来の記憶は受け継がないという条件付きで。。なぜタイムスリップをしてきたかは、フレッチャーにも妻のサリーにもわかりません。フレッチャーとサリーはサイクリングに出かけますが…。 ロバート・F・ヤング「時が新しかったころ」 カーペンターは、恐竜のいる時代にタイムスリップし、考古学的な調査をしていました。ところが白亜紀後期のその時代において、恐竜から逃がれるためい樹上にいた少女と少年、マーシーとスキップに出会います。二人はその時代の火星のエリートで誘拐犯にさらわれ、脱走してきたのだといいます。2人を匿い、誘拐犯との闘争し、苦境に陥るカーペンター。そこに迎えにきた人物とは・・・? チャールズ・L・ハーネス「時の娘」 タイトルトラック。 この短編集の中でもっともタイムパラドックスにあふれた作品です。物語の主人公である女性は、母親との複雑な関係に悩まされています。彼女は幼少期から、母親によって学校に通わせてもらえず、代わりに自身が生まれてからの全ての新聞の見出しを暗記させられるという特異な教育を受けてきました。母親は未来を予測することで生計を立てており、その予測は非常に的中率が高いものでした。主人公は成長するにつれ、母親と同じ男性に惹かれるなど、母親と自身の人生が奇妙に重なり合っていることに気づきます。さらに、母親が1977年6月3日をもって予測業を引退すると宣言したことから、物語は予期せぬ展開を迎えていきます・・・。 C・L・ムーア「出会いのとき巡りきて」 エリック・ロスナーは、世界中の様々な冒険、戦争を経験してきた戦士。もはや全てが退屈に感じられ、倦怠感にとらわれていました。そんなとき、ある科学者ウォルター・ダウに出会います。 ダウの提案をきっかけとして、ダウの発明したタイムマシンでエリックは時間旅行に乗り出すことになりました。イギリスを、ローマを、見知らぬ文明の時代を巡っていくエリック。彼はやがてどの時代においても、スモークブルーの瞳をもった美しい女に出会うことに気づきます。時代を超えた運命の愛の話です。 ロバート・M・グリーン・ジュニア「インキーに詫びる」 精神的な時間と物理的な時間軸が混じり合う幻想的な作品です。でもこの短編集一の難解さかもしれません。ウォルトン・アスターは1965年に幼馴染のモイラに出会いに行きます。 そして、1931年の日々、モイラとの思い出、犬のインキーの悲劇の死を思い出す・・・。 どうしてタイムトラベルと恋愛物語は相性が良いのでしょうね。きっと愛には時間が必要だから。タイムトラベルは、一瞬で物語の中の主人公たちの時間を飛び越えさせますが、時が流れていないわけじゃないんです。むしろ時間旅行が辛かったり苦しかったりする長い時の流れや、うちに秘めた想いを照らし出す役割を果たしてくれます。 何年経ってもきっと。 「その人に愛してると言ったら、きっとあなたの腕の中に飛び込んできます。」

時の娘
ジャック・フィニイ/ロバート・F.ヤング
三秋縋『君の話』 三秋さんの傑作だと思います。 この作品の舞台は、記憶を買ったり作ったりできる世界です。主人公は、天谷千尋。両親に愛されず、ほぼ思い出のない幼年時代を過ごしてきました。レーテという薬を飲み込み記憶を消そうとしたところ、間違ってグリーングリーンという薬を飲んでしまいます。そして自分の過去に「架空の幼馴染」の記憶を誤って埋め込んでしまいます。その幼馴染・夏凪灯花は本来存在しないはずの人物です。ところが、灯花はアパートの隣人として千尋の前に現れます。「夏の魔法はまだ続いている」と。 「この話は嘘だからこそ、本当よりもずっと優しいんだ」 三秋縋さんの話しには多く、どうしようもなく孤独で、空白に満ちた青春時代を送った人たちが出てきます。それだからこそ、青春や普通に対する尋常ではない憧れが作中で描かれます。餓えと言ってもいいですよね。 でも、実際リア充と言えるような青春を送れる人間がどれくらいいるでしょうか。黒歴史をもっていたり、漠然とした学生時代を送ったり、もっと悲惨な幼年時代を過ごしてきた人間も多いと思います。 本当に恋愛とか普通とか、そこに対する憧れや祈りはささやかな願いではあるけれど。悲しいけれど、人生の過ぎ去った時間はたとえ僅かであれ、取り返しがつきません。そんな苦しみを小説のベースとしているからかな。三秋さんの小説はとても優しく心に染みます。
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君の話
三秋 縋
講談社 諏訪部浩一氏の『チャンドラー講義』 文庫本化するまで待とうかなとも思ったのですが、こういった本は文庫本にはならないのかな、とも思ったので。 『チャンドラー講義』の12章の章立ては以下の通りです。 1. イントロダクション 2. チャンドラー以前のチャンドラー- 詩とエッセイ 3. パルプ作家時代- 短編小説 4. マーロウ登場 - 『大いなる眠り』 5. シリーズの始まり - 『さよなら、愛しい人』 6. 弱者の味方- 『高い窓』 7. 戦争の影- 『水底の女』 8. チャンドラー、ハリウッドへ行く- 映画シナリオ 9. 依頼人のいない世界- 『リトル・シスター』 10. 人間としてのマーロウ- 『ロング・グッドバイ』(1) 11. チャンドラー文学の到達点- 『ロング・グッドバイ』(2) 12. 未完のプロジェクト- 『プレイバック』 チャンドラーの作品を、それが書かれた際の時代やチャンドラーの年齢や立場をもとに読み解いています。 諏訪部さんはチャンドラーを単なる「ハードボイルド作家」としてではなく、探偵小説の枠を超えてた作家として捉えています。また、チャンドラーの作品が持つ「揺らぎ」や「変化」に注目し、彼が一貫して自己のスタイルを模索し続けた作家であるとも書かれています。 って私は批評家でもないので、細かいところはいいのですが。確かに作品ごとに少しづつ違うマーロウ像への理解を深めるにはとても良い講義だと思います。また、チャンドラー自身の苦しみが反映されているからこそ、容易ならざるシリーズものとして、彼の7つの長編がそれぞれ傑作になっているんだろうなぁと思いました。 ただチャンドラーはとても好きな作家ですし、個人的にはあまり批評的に掘り下げたくはないかな、とも思いました。自分が読んだ際の感性や感動を大事にしたいなとも思ってはいて。 それだからこそ、諏訪部さんがあとがきで「「タフでなければ、生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」という美学は相対化できるようなものではなかった」とも書かれていて、なにかわたしもそれを読んでほっとしました。 ああ、プロの訳者さんや批評家さんも、みんな本当にフィリップ・マーロウが好きなんだなって。 レイモンド・チャンドラーが好きで、フィリップ・マーロウを愛していて、もっとその世界観を深めたい人にはおすすめの解説書です。

チャンドラー講義
諏訪部 浩一
パイロットフィッシュ 「人は一度巡り合った人と二度と別れることはできない。なぜなら人気には記憶という能力があり、そして否が応にも記憶と共に現在を生きているからである」という文書から、この本は始まります。 アダルト雑誌の編集者をしている主人公山崎のもとに、真夜中に電話がかかってくる。声だけで誰かを理解する主人公。それは大学時代の彼女である由希子だった。 由希子は、かつて山崎が就職で苦労していた頃に、編集者として勤める文人出版を探してきた女性であった。また、大学に馴染めず、アパートの一室で沈んでいた山崎を救い出した女性でもあった。 電話の話の中でパイロットフィッシュの話を由希子にする山崎。パイロットフィッシュとは、水槽の環境づくりのために一番最初に水槽に入れる魚のこと。 由希子と電話から、かつての自分を想起し、いろいろなことを思い出す山崎。 2人はプリクラを取るために新宿駅南口で待ち合わせをすることになる…。 個人的にはとても難しくて、残酷な結末の本だな、と思いました。一度巡りあった人とは二度と別れられない。時として、バイカル湖のように、心の深いところから記憶が湧いてくることがある。それが懐かしい記憶であったり、心の支えだったりすることもある。場合によっては、パイロットフィッシュのように誰かが環境を支えてくれていたことに気づくこともある。 でも、時として誰かが作り出した生態系から逃げ出せず苦しむこともある。由希子のように。 人は巡りあった人と二度と別れることはできない。そう尻尾とちぎれた犬が尻尾を追いかけるように、いつまでも同じところを回り続けているのかもしれない。 どうしても、人は同じ過ちをしたり、過去の辛い記憶や人間関係から抜け出せないことがある。 そのことをこの小説は想起させます。
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パイロットフィッシュ
大崎 善生/鈴木成一デザイン室
『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』 大崎善生さんの短編集です。 以下の4編が収められています。 1. キャトルセプタンブル 主人公・理沙の母親は、かつてパリで村川健二という頼りない男性と出会っていた。1週間を共に過ごた後、彼女は彼に再会場所として「キャトルセプタンブル」というパリの地下鉄駅名を手紙で伝えた。しかし、その場所に村川はこなかった。 理沙は高校生になって、付き合っていた智也に振られた。彼だけと青春を過ごしてきた理沙は他の人間とうまくつながれず、孤独の底に落ちる。 やがて理沙はかつて母より聞いた話を思い出し、キャトルセプタンブルに赴く。 2. 容認できない海に、やがて君は沈む かれんは以前大好きだった父に去られていた。その際、「容認できない海に、やがて君は沈む それを」という書きかけの手紙を残されていた。高校生となったかれんは、友人の涼子と彼氏であった雅也と3角関係を経験する。そして、孤独感を味わい、周囲の人間が砂に見えていく。 3. ドイツイエロー 大学時代、理佐子は洋一という男性と出会う。付き合うようになるが、洋一はグッピーのドイツイエローの系統維持に夢中であった。理沙子は順調に大学を卒業し、社会に出ていくが、洋一は危ういドイツイエローの育成に夢中のままである。ある日、洋一はふとしたミスからドイツイエローをほぼ全滅させてしまう。それきり、行方をくらましてしまう洋一。 4. いつか、マヨール広場で 高校生のとき、彼氏から振られて以来孤独を抱えて生きてきた礼子。ハンガリーの青い空のイメージを常に脳裏に描いてきた。東西ドイツ統一の際に、東ドイツから西側に逃れる際に仰ぎ見たハンガリーの空だ。 大学生のときには、礼子は森川卓也と一夜を共に過ごす。彼の部屋にはスペインのマヨール広場を描いた風景画が飾られていた。 いずれも女性を主人公に据えています。こんなふうに女性が感じることはあるだろうか、と読みながら考えることもありますが、多分話の主題はそこではないです。いずれも喪失を味わった女性たち。次に誰かと恋に落ちて回復するのではなくて、父や母の記憶や、かつての彼のよすがから、立ち上がるきっかりを掴んでいきます。 よくあるハッピーエンドで終わる話がないため、かえって主人公たちの味わう孤独への親近感がわきます。ああ、あるこうやって孤独の底の落ちること、人と上手く繋がれないこと、人間ならあるよねって。
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ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶
大崎善生
風の歌を聞け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の主人公が語る物語の4作目。 “羊をめぐる冒険を経て、とても疲れてしまった“僕”。 愛する恋人のキキは行方が知れず、親友の鼠も失っている。心が震えるような時を経ることも既にない。 何かをやりなおすために、かつてキキとはぐれた札幌のイルカホテルを訪れ、そこから自分を辿ろうとする。しかし、イルカホテルは既になく、豪華な近代的なホテルに建て替えられていた。驚きつつもそこに滞在する“僕”は、雪の降る最中、神経質なホテル従業員の女性ユミヨシさんと、13歳の孤独な女の子ユキに出会う。ユミヨシさんにはユキを東京まで送るように頼まれる。 東京では、かつての同級生であり、映画スターとなった五反田君に再開する。驚くべきことに、五反田君の映画には、かつての恋人キキが出演していた。ところがキキの行方を探る最中、知り合った女性メイは殺されてしまい…。メイに名刺を渡していた“僕”は、刑事の文学と漁師に取り調べを受けるが、友人の五反田君を庇い、何も吐かず耐え抜く。 「なんとか自分の生活を維持していること… でももう何処にも行けないこと。 何処にも行けないまま年をとりつつあること。 誰も真剣に愛せなくなっていること。 そういった心の震えを失ってしまったこと。 何を求めればいいのかが、わからなくなってしまっていること。 自分の体がどんどん固まっていくような気がする。 ー僕はそれが怖い。」 精神的なエネルギーが足りないなと思ったときに、よく読んでいる本です。 最初から最後まで通して読む事は、あまりありません。 ベッドに倒れて開いたページから読み始めて。途中で読むのやめてしまって。それの繰り返し。 読んで何か感動するということでもないです。 ストーリーが格別面白いわけでもないのです。 名文の羅列というわけでも、叙情性が高いというわけでもない気がして。ただ、何かすごく居心地のいい感じを受けます。 やあ、またきたの?ー うん。ああ、でもすぐ行くよ、またね。 って。 私が持っている文庫本は何度も読んでくたびれてるんですが、履き慣れたジーンズを履いているかのように感じる、そんな小説。 感想は下巻に。
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ダンス・ダンス・ダンス(上)
村上 春樹
大崎善生さんのノンフィクション。昨年8月に大崎善生さんが亡くなっていたことを今更ながらに知ったので、再読させていただきました。 2001年の8月、ウィーン近郊のドナウ川で邦人男女が心中自殺を遂げたというニュースを筆者の大崎善生は新聞で目にする。とても熱い夏であっ た。新聞の記事ではたった数行にまとめられてしまうこの事件への違和感。大崎は、どうしてもそのニュースが気になって仕方ない。 2人は19歳のワタナベ・カミと、33歳のチバノリヒサ。 つてを頼り、複数のジャーナリストから情報を仕入れる。大崎は、身投げした女が自分の知人である渡辺マリアの娘、渡辺日実(ワタナベカミ)であることを知る。また、その恋人千葉師久に関する悪評も。新聞社や週刊誌の情報だけではどうしても納得できぬ筆者は、渡辺マリアとその夫渡辺正臣を訪ね、正式な取材を行い、書物としてまとめようとする。なぜ、渡辺日実は19歳という若さで身を投げようとしてしまったのか。 筆者はやがてニース、ウィーン、ルーマニアのクルージュ・ナポカに2人の足取りを辿る長い取材を行い、日実が心中しようとした経緯を丹念に辿ろうととする。最後には、ドナウ川の日実の遺体が流れ着いた場所を訪れる。 大崎善生さんの訃報に際して一番最初に思い出したのは、このノンフィクションでした。 この本の中で大崎さんはこの痛ましい事件のレポートにおいて、誰かを悪者にしようとはしていません。また、興味本位な事件としても描かず、亡くなった2人に対する誠実さを感じさせる「物語」として描こうとしています。 大崎さんは最後にこのように綴っています。 ドナウよ、静かに流れよ、と。命を捧げて人を守ろうとした日実の清らかな心が、きっとどこかに流れいくだろうことを祈って、と。 他の小説にも垣間見える、大崎さんの真摯さが伺えます。 この場で大崎さんのご冥福を祈り、また感謝を捧げたいと思います。たくさんの素敵な本をありがとうございました。
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ドナウよ、静かに流れよ
大崎 善生
ドラマ化もされている伝説的作品ですよね。 読むのは3回目です。読むたびにいろいろな感想が浮かんできます… 質家の主人、桐原洋介が廃ビルで殺される。刑事、笹垣潤三は犯人探しに乗り出す。 桐原の妻の名前は弥生子。質屋の部下の名前は松浦勇。桐原が殺された時、2人にはアリバイがあった。桐原洋介の足取りをたどり、西本文代、寺崎忠夫に行き着くが、西本も寺崎も事で死んでしまう。事件は暗礁に乗り上げる。 あとには洋介の息子の亮司と、西本文代の娘、雪穂が残される。 その後、美しい娘、雪穂の人生の影にはいつも桐原亮司が見え隠れする。2人は愛し合い、庇い合い生き延びていた。誰の目にも留まらず…。 純愛というにはあまりにも重たい2人の関係。例えば、グレートギャッツビーのようなロマンチックさはここにはないです。 この小説自体なんでしょうか?ミステリが主眼ではなく、サスペンスでもない。解説で馳星周はノワールであると告げています。 でもやっぱり私はなによりも人間ドラマ、恋愛小説なんじゃないかと思うんですよね。恋愛という言葉が軽ければ、愛の作品。 雪穂が隠れて桐原に手袋を作っていた、雪穂が作った店の名前が「R&Y」であったこと、2人が事件に巻き込まれるたびに、必死に庇いあっていたこと。作品中では、2人の気持ちは直接は書かれないのでですがそれが2人の関係やこの作品の叙情性を高めます。 ただ、いくつかの謎も多く、未だに気になっています。 たとえば、2人の気持ちには違いがあるように感じます。 桐原亮司は、作中で「俺の人生は白夜の中を歩いているようなものだからな」と言っています。桐原は、白夜を歩いていたと。 対して、雪穂は、「私は太陽の下を生きたことなんかないの。私の上には太陽なんてなかった。いつも夜。でも暗くはなかった。太陽に代わるものがあったから。ー太陽はなんてなかった、だから失うものなんてなかった」と告げています。そこにはニュアンスの違いがある。失うものなんてない? もしかしたら雪穂にとっては、桐原亮司はとても大事な人だったけれど、男として本当に愛せてはいなかったのかもしれない。その代わり、作品の中で、雪穂は篠塚一成にだけは特別な感情を抱いているように見えます。 最後に雪穂は、死んでいく桐原亮司を「全然知らない人です」と告げ、一度も振りかえらず歩いていきます。普段完璧な演技をする雪穂らしくありません。彼を失い、改めて亮司の存在の重さに気づいたんじゃないでしょうか? 白夜行。 ドラマ化の際のキャッチコピーはこうです。 「愛することが罪だった。会えないことが罰だった。」 また読み返す作品だと思います。
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白夜行
東野圭吾
馳星周の直木賞受賞作。 馳星周というと不夜城の影響からノワール作家としてのイメージが強すぎるのですが、この作品は少し毛色が違います。 多聞という不思議な犬が、旅する過程でいろんな人に出会い、そこで紡がれる話を連作短編集として仕立てています。 男と犬 3.11の被害の半年後、職を失い、仙台の街で運び屋をしていた中垣和正。立ち寄ったコンビニで不思議な犬に出会い、飼うことにする。犬の首輪には多聞という名前が書かれていた。 泥棒と犬 フィリピン人であるミゲルは、ゴミ山育ちであった。日本で窃盗をして金を貯めていた。手配人に裏切られ、金を持って逃げ出す際に、守り神として多聞を連れていこうとする。 夫婦と犬 中山大貴と紗英は夫婦。ある日、大貴はトレイルランの練習中に、犬に出会う。犬はどうやら大貴が熊に出会う前に追い払ってくれたようだ。犬を連れて帰る大貴。家では彼に不満をためた紗英が待っている。 少女と犬 事故で片足と両親をうしなった瑠衣は,東尋坊から飛び降りて死のうとしていた。しかし、そこで犬に出会う。幼き頃に飼っていたマックスを思い出し、飛び込みを思い止める。 娼婦と犬 娼婦の美羽は山からの帰り道、怪我した犬を拾い、獣医に連れていく。その場で、マイクロチップから多聞という名前であることを知る。美羽は犬をレオと犬を呼び、飼うことにする。 老人と犬 老いた狩人弥一は、家の庭に迷い込んだ犬を拾い、ノリツネと名付ける。弥一は狩りの名人であったが膵臓癌に冒されていた。亡き妻への贖罪の気持ちも兼ねて、自宅で延命治療もせず、亡くなろうとする弥一。ノリツネか主人を探しにいく旅の途中であることを勘づきながら、余生を共に過ごそうとする。 少年と犬 内村徹、久子の夫婦は東日本大震災の後、熊本に移り住んできていた。一人息子の光は、震災のショックで感情を失い、喋ることもなくなっていた。しかし、徹が犬を拾って帰ると、笑顔になり、感情を表現するように。笑顔を取り戻す内村一家。徹がかつての友人に連絡を取り、犬の写真を送ると驚きの事実がわかる… 各短編を通じて、必ず登場するのは多聞だけです。多聞から見たロードムービーのようにも作品は見えます。多聞を通じて、各作品の主人公たちは、自分の人生を振り返ったり、次に一歩を歩み出す勇気を得ています。7編の短編全ての語り手が、いずれも過去に犬と親しんだ経験を持っていて、犬は彼らが幸せだった時のシンボルになってるいる感じがしました。 犬を通じて読者に人生を顧みさせる、そんな経験をさせてくれる小説だと思います。 少女と犬や、少年と犬の短編のように、感動的な話で全てを綴っても良いはずなのに、泥棒と犬や娼婦と犬のようなノワール的な作品をいれてくるあたりに、馳星周らしさを感じて仕方ありません。 25年3月に映画も公開するようなので見てみたいと思います。 にしても、犬を使って泣かせるのは反則だよねぇ笑
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少年と犬
馳 星周
東野圭吾の名作『白夜行』の続編として銘を打たれた作品です。 1995年、水原雅也は父の葬儀を執り行っていた。通夜の夜を阪神淡路大震災が襲う。父の借金の返済を催促する叔父の俊郎を、雅也は震災の混乱に乗じて殺してしまい、そこを新海美冬に目撃されてしまう。雅也は美冬に黙認され、東京行きを誘われる。そして、2人は行動を共にすることになる。それは雅也にとっては地獄にも通じる旅の始まりだった…。 作品を通じて、白夜行に出てきた登場人物が、同じ氏名で出てくることはありません。読み進める過程で、読者は大きな謎を提示されます。それは新海美冬とは誰なのか?彼女の目的とはなんなのか、と言うミステリーです。作品では明示的には書かれていません。 黒子の位置、刑事の笹垣を思い出しているような言及があること、ハーモニーのケーキの話をするなど、『白夜行』の唐澤雪穂であることは容易に推測されるます。また、もし美冬が雪穂であるとするならは、作品内の辻褄が合ってきます。雪穂のブティックがバブルが弾けたために潰れ、彼女は借金を背負ったのではないか。そのため美冬に入れ済ましたり、美に傾倒するふりをして整形する必要があったのではないか、と。 それでも謎は残ります。 どうして美冬はここまで雅也に冷たくなってしまったのか。そして、本当に雅也に対して気持ちはなかったのか、桐原亮司に雅也を重ねることはなかったのか、など…。東野圭吾曰く、『幻夜』は白夜行3部作の2作目にあたるようなので、最終巻を待たないといけないのでしょう。 美冬の冷酷さがこの作品『幻夜』を彩っていますが、『白夜行』から続く作品の重苦しいトーンは健在で、そしてなぜか心を惹きつけて止まない物悲しさがあります。 東野圭吾の人気作品ランキングで上位にくることは無さそうですか、私はやっぱり傑作だと思います。
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幻夜
東野圭吾
タイトル、イラスト、その分厚さから手に取り、そして最初の数ページ読んだだけで話に引き込まれて買ってしまいました。そんなこともある… 1928年、イギリス人のジュリエット・ブラウニングはベネチアに伯母と旅行をする。そしてレオナルド・ダ・ロッシと出会い恋に落ちる。ではあるがすぐに伯母に仲を引き裂かれ、帰国することになる。10年後、ジュリエットは美術の教師として再びベネチアを訪れ、予期せずレオナルドと再会し、彼が望まぬ結婚をしていることを知る。 1年後、再びジュリエットはベネチアを訪れる。今度は美術学校の生徒として。そして、レオナルドと三度再会することになる…。 時は流れ、2001年キャロライン・グラントは夫のジョシュと別れることになる。親権を行使したジョシュは、息子のテディをニューヨークに休みの間連れてくることを要求する。そしてテディが渡米している間に911が起きてしまう。すぐにはイギリスに帰れなくなるテディ。また、時を同じて今度は大伯母のレティが亡くなってしまう。「アンジェロ、探して、ベネチア」といういまわの言葉と三本の鍵を残したレティ。失意の底に沈むキャロライン。テディにも会えぬ彼女は、祖母のアドバイスに従ってベネチアを訪れることになる…。そして、60年近く前の大伯母レティことジュリエットの軌跡を辿ることになる…。 半世紀以上の時を挟み、ジュリエットの悲しい運命を知るキャロライン。かつてベネチアで何があったのか、遺言の意味はなんであったのか、という謎解きミステリー。 歴史小説としては少し文体は軽いのですが、とても引き込まれていくテンポの良さがあります。 とてもロマンチックでそして悲しい歴史に翻弄されたジュリエットの運命を知るキャロライン。 とても長文ですが(700ページ!)、サクサク読めてしまうのでみなさんに読んで欲しい作品です。

恋のスケッチはヴェネツィアで
リース・ボウエン/矢島 真理
2022年、本屋大賞を取った作品です。 他の本屋大賞作品も何作か読んではいますが、作品の完成度という点でずば抜けていると思います。話の展開が秀逸で600ページあるのですが4日くらいで一気に読んでしまいました。 1942年、イワノフスカヤ村に住むセラフィマは、母と一緒に猟をして暮らしていた。ある日、村に帰ろうとするとドイツ人の一軍に村が占領されようとしているところ目撃する。戦おうとする母は、ドイツ人の狙撃手に撃たれ、セラフィマも陵辱されようとする。そこにロシア軍の一団が現れ、セラフィマは救われる。ロシア軍のリーダーであるイリーナに強い言葉を投げかけられるセラフィマ。憎しみを支えとして、狙撃手としての教育を受けていく。 訓編学校では美しいシャルロッタ、カザフ人のアヤ、母のように優しいヤーナ、そしてウクライナ出身のコサックであるオリガと知り合う。 訓練学校を卒業したセラフィマは、皆と一緒に実戦であるウラヌス作戦を経験し、そして決戦都市スターリンググラードに乗り込んでいく。どんな悲劇がこの先待っているかも知らずに。 この作品は、戦争小説なのですが、作品を際立たせてるいるのが、それを女性という視点から書いているところです。男性なら、戦争に行くことも帰ってきて英雄と讃えられることも当たり前の時代であったけれど、女性はそうではなかった。戦争を潜り抜けた女性であっても、除隊後周りの視線を扱いから冷遇を受けてきた。そしていつの時代も戦争という状況の中で、女性は弱い立場に置かれて苦しんできた。 同志少女よ、敵を撃て。本当の敵はここにいる。 それはおそらく、特定の民族や国であろうはずはなく。また、男性や女性といった性別でもなく、戦争という異常な状況下で発揮される人間の本質なのだろうという。 もっと吉村昭の書いたバリバリの戦史小説のような作品かと思っていたのですがそうではなかったです。キャラクターも生き生きとしていて、とても読みやすかく、作者逢坂冬馬の優しい真面目で熱い人柄が伝わってくるような作品でした。
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同志少女よ、敵を撃て
逢坂 冬馬
1人、海辺の街に住み着いた貴瑚。 田舎での煩わしい人間関係が嫌になっていた。そんな中、1人の少年に出会う。ムシと呼ばれ、実母からネグレクトを受けていて、喋れなくなっている少年。そんな彼に貴瑚は通じるものを感じる。 貴瑚は52ヘルツのクジラの話を伝え、彼を52と呼ぶことにする。52ヘルツのクジラとは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く孤独なクジラのこと…。 貴瑚には悲しい過去があった。 実家で受けていた虐待のこと、そんな環境から助けてくれた恩人がいたこと。そんな恩人の愛に気付かず失ってしまったこと。 この小説のあらすじは書くことは簡単なんですが、魅力はそこにはないと思います。 全ては出会いなんだと思わせる小説です。 どんな出会いが人を助けてくれるか。あるいは人を損なわせてしまうのか。貴瑚の友人美晴の貴瑚に対する気持ちは、ちょっと目頭熱くなるところがありました。 52ヘルツのクジラを想う。「わたしでいいのなら、全身で受け止めるからどうが歌声を止めないで。52ヘルツの声を、聴かせて。」 2021年の本屋小説大賞、映画化もされた作品ということだけあって、とても気持ちのいい作品です。
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52ヘルツのクジラたち
町田そのこ
辻村深月の長編。 千代田光輝は売れっ子作家であるが影響力が強く、彼の作品を読んだ読者が殺人事件を起こしてしまう。そのため、公輝は世間に責められていた。 ところが、ある少女のTV局への投稿から、風向きは一変する。わたしは彼の作品によって救われてきたと。少女はチヨダコウキの天使と言われるようになる。 そして数年後。 アパートのスロウハイツは、赤羽環がオーナー。 そのほかにテナントとして、狩野壮太、長野正義、森永すみれ、黒木智志、千代田光輝、円谷伸一が暮らしている。いずれも皆が脚本家や、画家、漫画家の卵であり、まだ芽が出ていない。 縁あって環がオーナーとなったスロウハイツに住むことになった。 唯一の例外は千代田光輝。 チヨダブランドという名前を作り出したこと著名な作家。環とは出版社のパーティで知り合った。環に誘われ、スロウハイツに住むことに。 彼らのアパートでの奇妙な同棲生活が始める。 しばらくして、スロウハイツの一室に更に加々美莉々亜がやってきた。 息を呑むような美しい少女。 一方的に、千代田光輝を慕っている。 千代田光輝もまんざらではない。 そして、スロウハイツには不穏な空気が流れはじめる… 物語がどこに着地するのか全然わからない、そんな不気味さを孕んだ上巻です。 毎度辻村深月の小説は入り組んでいて、ゲームみたいな趣きがあります。
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スロウハイツの神様(上)
辻村 深月