
2025年2月8日
ドラマ化もされている伝説的作品ですよね。 読むのは3回目です。読むたびにいろいろな感想が浮かんできます… 質家の主人、桐原洋介が廃ビルで殺される。刑事、笹垣潤三は犯人探しに乗り出す。 桐原の妻の名前は弥生子。質屋の部下の名前は松浦勇。桐原が殺された時、2人にはアリバイがあった。桐原洋介の足取りをたどり、西本文代、寺崎忠夫に行き着くが、西本も寺崎も事で死んでしまう。事件は暗礁に乗り上げる。 あとには洋介の息子の亮司と、西本文代の娘、雪穂が残される。 その後、美しい娘、雪穂の人生の影にはいつも桐原亮司が見え隠れする。2人は愛し合い、庇い合い生き延びていた。誰の目にも留まらず…。 純愛というにはあまりにも重たい2人の関係。例えば、グレートギャッツビーのようなロマンチックさはここにはないです。 この小説自体なんでしょうか?ミステリが主眼ではなく、サスペンスでもない。解説で馳星周はノワールであると告げています。 でもやっぱり私はなによりも人間ドラマ、恋愛小説なんじゃないかと思うんですよね。恋愛という言葉が軽ければ、愛の作品。 雪穂が隠れて桐原に手袋を作っていた、雪穂が作った店の名前が「R&Y」であったこと、2人が事件に巻き込まれるたびに、必死に庇いあっていたこと。作品中では、2人の気持ちは直接は書かれないのでですがそれが2人の関係やこの作品の叙情性を高めます。 ただ、いくつかの謎も多く、未だに気になっています。 たとえば、2人の気持ちには違いがあるように感じます。 桐原亮司は、作中で「俺の人生は白夜の中を歩いているようなものだからな」と言っています。桐原は、白夜を歩いていたと。 対して、雪穂は、「私は太陽の下を生きたことなんかないの。私の上には太陽なんてなかった。いつも夜。でも暗くはなかった。太陽に代わるものがあったから。ー太陽はなんてなかった、だから失うものなんてなかった」と告げています。そこにはニュアンスの違いがある。失うものなんてない? もしかしたら雪穂にとっては、桐原亮司はとても大事な人だったけれど、男として本当に愛せてはいなかったのかもしれない。その代わり、作品の中で、雪穂は篠塚一成にだけは特別な感情を抱いているように見えます。 最後に雪穂は、死んでいく桐原亮司を「全然知らない人です」と告げ、一度も振りかえらず歩いていきます。普段完璧な演技をする雪穂らしくありません。彼を失い、改めて亮司の存在の重さに気づいたんじゃないでしょうか? 白夜行。 ドラマ化の際のキャッチコピーはこうです。 「愛することが罪だった。会えないことが罰だった。」 また読み返す作品だと思います。
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白夜行
東野圭吾