匿名ユーザー

2026年3月2日

マクベス論から始まって、得体のしれないなにか、というようなものに人間は支配されていて、相手の問題ではなく自分で自分がわからなくなるけど、それは実際に起こっていることである、というのが強調されていて、それこそが「人間ということ」なのだというのを言いたいのかな、と。で、今100分de名著がフッサールなのだったけど、その支配されている何かというものが「包括者」に似ているな、と思っていたら、解説にフッサールに傾倒していたところもある、って書いてあってやはり教養は回っていくものなのだと実感。個人的には鷗外や漱石がその「ありのまま」を書くことに対して敏感で、現実こそが夢よりも奇異なものであるというのが「確かにー」と。島尾敏雄の夢の中にいるようなありえないような状態の小説が実際の現実なのだ、というところ、またそれを自覚しているから、その状況を小説に書いている、ってところが面白かった。言葉にしにくいけど。蓮實さんとの対談であった「物語」と「小説」の違い的なところは、柳田國男のところの子ども殺しのとこで現実を述べる奇異性を小説に仮託するということなのかな、とともは理解したけど、そこは小説ではなく文学なのかな、とも読めたから、そうなると小説ってなんなの?って難しいと思う気持ちもあった。

意味という病

意味という病

柄谷行人/すが秀実

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