作品紹介・あらすじ
日本のシェークスピア論のパラダイムを批判し、明晰な論理と思考の下に、新しい「マクベス」像を描く、柄谷行人の初期秀抜エッセイ「マクベス論」をはじめ、秀作『マルクスその可能性の中心』につながる、その明視力の圧倒的展開を収録。
●マクベス論ーー意味に憑かれた人間
●夢の世界ーー島尾敏雄と庄野潤三
●私小説の両義性ーー志賀直哉と嘉村磯多
他
感想・レビュー (1件)
マクベス論から始まって、得体のしれないなにか、というようなものに人間は支配されていて、相手の問題ではなく自分で自分がわからなくなるけど、それは実際に起こっていることである、というのが強調されていて、それこそが「人間ということ」なのだというのを言いたいのかな、と。で、今100分de名著がフッサールなのだったけど、その支配されている何かというものが「包括者」に似ているな、と思っていたら、解説にフッサールに傾倒していたところもある、って書いてあってやはり教養は回っていくものなのだと実感。個人的には鷗外や漱石がその「ありのまま」を書くことに対して敏感で、現実こそが夢よりも奇異なものであるというのが「確かにー」と。島尾敏雄の夢の中にいるようなありえないような状態の小説が実際の現実なのだ、というところ、またそれを自覚しているから、その状況を小説に書いている、ってところが面白かった。言葉にしにくいけど。蓮實さんとの対談であった「物語」と「小説」の違い的なところは、柳田國男のところの子ども殺しのとこで現実を述べる奇異性を小説に仮託するということなのかな、とともは理解したけど、そこは小説ではなく文学なのかな、とも読めたから、そうなると小説ってなんなの?って難しいと思う気持ちもあった。