匿名ユーザー

2026年2月8日

うーん。思っていた通りの内容だったけれど、後半の差別を社会的合意があってから解消しようとするのは、「本質的に多数決原理の限界のために生じた現象である差別を多数決を用いて解決しようとすることは、正しい解決策になりうるのだろうか」というところで「はっ」とさせられた。マイノリティ側は好きでマイノリティになっているわけではないのにマジョリティ側に「認めてあげる」と言われない限り、差別を受けなくてはいけないのか、というのはあまりに横暴すぎると気付いた。ガート・ビースタも言ってたけど、これって民主主義の熟議型モデルと多数モデルじゃん。多数モデルってかなり乱暴なことだよね。あと、差別解消法を制定するのに認められにくいものは除外して認めるっていうのは一見合理的に見えるけど(もちろん認められなかったものも認められるように努力し続けるという前提があったとしても)、それは差別を暗に認めることに繋がるっていうのもとても納得した。だからこそ「あらゆる差別」を解消しようとし続けなくてはいけないのだよね。これってインクルにも繋がってるよね。あとは『差別されないための努力』を『差別しないための努力』にかえるというところがずしんときた。私もここで出ている映画の『わたしたち』のように相手に都合のよいことを言って、他人を差別してた。うん。やめたい。あと、反省しろっていうのではなく、自分の間違いを認めて、修整する義務は確かにだれにでも必要なことだよね。なんか、今読んでいる柄谷行人と蓮實重彦の対談集の共同体というのにもとても繋がっていたと思った。

差別はたいてい悪意のない人がする

差別はたいてい悪意のない人がする

キムジヘ/尹怡景

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