苦しみという“存在”は変化することなく、永遠不滅に人の中に存在するのではないか。 苦しみを止滅した人であろうと、外傷を受ければ、やはり苦しいのではないだろうか。 僕らは“存在”が在ることしか知り得ない。その“存在”がどのように存在するようになったのか、は問えない。その事を仏陀はよくご存知だろう。