2026年7月23日
戯曲作家アラン・アレクサンダー・ミルンとアーネスト・ハワード・シェパードの奇跡的な出会いで生まれた「くまのプーさん」。 イギリスの風刺漫画雑誌「パンチ」の副編集長をしていたA.A.ミルンは、挿絵画家E.H.シェパードと出会う。ナイーブなミルンと 陽気で活発なシェパードという性格の全く違う二人。親しくなることはなかったが、仕事上お互い尊敬しあい、数々の素晴らしい作品を世に残した。 現在では、ごく当たり前になっている文章と同じページに挿絵を入れるやり方は、この二人が始めたことと 知って、大いに驚いた。 ミルンの文章は、シェパードの挿絵あってこそ生きてくる。 ミルンの息子クリストファーの幼い頃に買い与えたぬいぐるみで話を作って語り聞かせたことから始まったプーさん。有名になったことが原因で、学校で虐められたことからクリストファーの心は親から離れて行く。 周囲の反対を押し切って従姉妹(母ダフネの姪)と結婚したことで、その関係は決定的になってしまう。 一方、シェパードは最初の妻を亡くしたものの再婚相手に恵まれ、最期まで仕事をして亡くなった。 脳梗塞で亡くなったミルンは、次の様な文章を残している。 「私が死んだら、シェパードに墓を飾ってもらいたい。プーとコブタの絵を墓石に掛けて欲しい。 そうすれば、彼らが私の連れだと思い、聖ペトロは天国へ迎え入れでくれるだろう」 これこそ、二人の関係を現していると思う。 そして、私の一番の謎だったディズニーの「くまのプーさん」についてだ。 ミルン亡き後、妻のダフネが印税が減ることを懸念し、シェパードに無断で画像と文章を売ったのだった。 しかも画像に関しては全く制限を与えない条件で。 それを知ったシェパードは、それをきっと怒り狂っただろう。 しかし、彼はこのことに関して一言のコメントも残してはいない。 結果、ディズニーに売ったことでくまのプーさんは世界的に有名になり、本は更に売れ続け、シェパードにも仕事がたくさん舞い込んだからだ。 ディズニープーは未だ好きになれないが、クラシックプーを私は愛し続けるだろう。 そして、クリストファー・ロビン愛用の「ウィニーザプー」は、今もニューヨーク公立図書館に眠っているそうだ。
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「クマのプーさん」誕生物語
ジェームズ.キャンベル/富原まさ江
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