ネコ

2024年6月22日

ここに此一行に加はらうとして許されなかったものがある。わたくしはこれを記するに当って、当時の社会が今と甚だしきを感ずる。奉公人が臣僕の関係になっていたことは勿論であるが、出入りの職人商人も亦情誼が頗る厚かった。渋江の家に出入する中で、職人には飾屋長八と云うものがあり、商人には鮨屋久次郎と云うものがあった。長八は病んで抽斎は長屋に住ませ衣食を給した。没し葬式の世話をし家に帰り「あの檀那様がお亡くなりなすつて見れば、己もお供をしても好いな」と云った。翌朝長八は死んでいたさうである。渋江氏が弘前に移る時、久次郎は切に供をして往くことを願った。五百は用人の内意を承けて随行を謝絶した。久次郎はひどく落胆し、翌年病に罹って死んだ。

渋江抽斎

森鴎外

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