
2023年3月29日
今ここに在る生は、過去の生の歴史と共に在る。 壮大な生命なる舞台の幕は、私たちが生まれる前から上がっている。私たち人は、その中途から舞台に参加したに過ぎない。 しかし、どんな形であれ、どの生物も役者であることには変わりはない。 この舞台は未だなお現在進行形であり、一つ一つの生が形作る舞台の存在は、この私たちの生が在る事実によって疑い得ない。 私たち、生物を利用する人が在る事実は、彼ら、過去の生命が在った事実でもある。私たちの人生は彼らの歴史の上にあるのではない。今この時、生命の歴史の粋がこの地球にあらゆる生物の形で在る事実によって、私たちの人生は彼らの歴史と共にある。 私たちは個人の人生と共に、その歴史の舞台をも創って行かざるを得ない。悲哀に暮れようが、歓喜に踊り狂おうが、平静に過ごそうが、生きるとは、一つの歴史を創らざるを得ない。そういう認識と壮大な生命の歴史に思いを馳せる時、あらゆる生物に対して寛容にもなれるだろう。 そして、その立場からのみ、自らの人生を立派に生きようとする信念も生まれる。 生命を観る作家の眼は、遠い果ての生命の歴史から近い親しい人々の人生まで同じ眼差しで見つめていた筈だ。 この絵本からは、そういう信念しか感じる事は出来なかった。しかし、それで充分だとも感じた。 あらゆる生物に対して恭敬を自覚して人生を送る決意と、環境保護などという大それた偏愛で自然を見つめてはいないだろうか。という問いを読了後は感じてしまう程、遠い歴史の壮大さから、今ここの一人の人生の極小さにまで収斂し、自らの生を見つめざる得ない鏡面的な作品である。 人が社会の中で生きるとは、他人や外側との摩擦の中で揉まれる事だが、他人やら環境やら何か外側の責任にするのにも切りがない。自身を変えていった方が容易い様に思われる。しかし、それは苦労を伴うものだと理解しているから、人々は中々変わろうとはしない。 だが、生物の進化とは、その苦労を伴った自身の変化に他ならないのではないだろうか。どうにもならない外側に対してのあの多種多様な変化には、生きる決断の強さをまざまざと見せつけられる。 外側を利用する生物はいても、外側に対して決して嘆き立ち竦む生物はかつていなかった筈だ。
せいめいのれきし
バージニア・リー・バートン/いしいももこ