レビュー (2件)
青山さんの本はフィクションでうまくいきすぎてるだろう、と思っちゃうけど、取り入れたくなる言葉がたくさん。そして前向きたくなるんだよね。 猛烈な悔しさも苛立ちも、走り終えるころには汗と一緒に流れ落ちて、たいていのことはどうでもよくなる。この「どうでもよくなる」っていうのが、人生を平穏に過ごすためにとっても大事なことだ。 どうでもいいから忘れる。嫌なことって、たいがい自分にとってどうでもいいことだと思う。 私を幸せな気持ちにしてくれない出来事なんて、覚えている価値もない。 そうやって私は、今までいろんなことを乗り越えてきた。 親子はいつまでも同じ電車に乗っていられない。だとしたら、乗り継ぎ駅に到着して子どもが席を立ったとき、ちゃんと次の電車に乗れるように信じて見送ることしか、親にはできないのかもしれない。 何かの答えを出すのは素晴らしいことです。でも、そこにたどりつくまで迷いながら歩く日々のほうこそを人生と呼ぶんじゃないかと、わたしは思うんですけどね。 まだダメって思えるなら、絶対大丈夫だ。まだダメと、もうダメは、ぜんぜん違うんだ。まだってことは、これからがあるんだろ。 なくすなよ、そのくやしいって気持ち。大事に持ってろ。くやし涙がでてるときって、でっかくなってる最中なんだからな。 「神道では、魂は大きく分けてアラタマ、ニギタマのふたつがあると考えられていてね。荒魂は勇猛果敢で強いエネルギー。でもその勢いで災いを引き起こしてしまう面もある。和魂は平和や謙遜、献身。優しい魂ですが、これだけでは弱すぎて進めません。どちらも必要だし、 あって然るべきなんです」 荒魂、和魂。どちらも外せないセットなのだとしたら、ふたつのタマは、お互いにぶつかりながら磨かれていくように用意されたのかもしれない。それはきっと、どんな気持ちにも、ちゃんと意味があるっていうことだ。 自分のスペースが狭いなんてどうしてわかるんですか。あなたがそう決めてしまっているだけではないですか。誰もそう言ってないのに。「こうに決まってる」っていうのを外すんです。決まってると思ってしまったときには、上書きしてみてください。「何も決まってない」と。すべては、今からです。 戦わなくていい。誰とも、自分とも。不要だと思うような感情が生まれてしまったときは、そのつどさっと祓えばいい。 今夜は三日月だとか満月だとか、人はそう言いながら月を見上げるけど、 実際の月はいつもまんまるで、 私たちは月が太陽に照らされた光の部分を見ている。 だから、月がどんな姿をしていても、それは一部でしかない。 そして矛盾しているようだけど、どんな月もほんとうの月だ。 それは人が人を見るときに似ていると思う。 人もやっぱり、どんな姿もそれは一部にすぎないし、また矛盾しているようだけど、どんな姿のその人もほんとうのその人だ。
