
レビュー (6件)
世の中で起きる様々な事故や事件に対して、当事者ではなく、間接的に影響も受けていない立場であればこそ、冷静に、客観的に考えることができるのだと思います。そんなとき、私たちは思いやりにあふれ、優しく寛容な人でいられるのかもしれません。 けれど、それが自分の身にふりかかり、我慢を強いられるような立場になったときにも、同じようにいられるのでしょうか。受け入れ、優しくあることができるのでしょうか。 実際に自分が当事者になったとき、自分の中にある矮小さや意地悪さ、ケチな傲慢さや横柄さに驚かされます。他人事のときには見えなかった、無責任な自分の姿にも気づきました。私は「善人の顔」をして、普段は「菩薩の修業中」などと語っているくせに、これで本当に修業中と言えるのか?と、自分に問いかけずにはいられませんでした。 そんな自分に向き合う一方で、「誰かを守ってあげたい」という衝動に突き動かされる、自分の中の“善”の存在も確かに感じています。 だからこそ、必要以上に自分を卑下することなく、愚かでかっこ悪い自分も認めながら、菩薩を志すという道を通して善なる自己を育てていきたい。そしていつか、社会の中で誰かの役に立てるような自分でありたいと願っています。
読んでて 苦しかった マスコミの傍若無人さ 人の不幸に匿名をいいことに土足で踏み込む人々 人は 自分が不幸だったら他人をおとしめる者なのか人に優しくできるのは 自分が 幸福でないと無理なのか
被害者と加害者家族の関係の構築の仕方が素晴らしい 葛城さんが「奇跡」と言っていたけれどまさに奇跡だと思う 志賀の父性はもっと早く覚醒すべきだったと思うけれどそれにしても素晴らしい構成 結末は急速で七里作品にしては謎解き部分が少なかったけどそれも本作の焦点が最初に述べた部分にあると思えば当然 これはミステリーではない
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