2026年4月9日
浮世という言葉の考察 中国では「世を憂う」 日本では最初は浮世では無く憂世、儚く生きづらい人の世を表現する言葉として捉えられていた。(中国からの導入以降) 仏教用語としては、現世…彼岸に対する此岸。 時代が下って江戸時代になると次第に憂世ではなく、浮世の文字が使われるようになった。(江戸時代よりも前からではあるが)少しずつ辛く苦しいだけの意味から変遷して行った。 11 件のサイト江戸時代に誕生し、日本の文化を象徴する芸術となった浮世絵の歴史を、主要な区分と出来事で年表にまとめました。浮世絵の歴史年表時期主な出来事・特徴代表的な絵師・作品誕生期 (17世紀後半)岩佐又兵衛が肉筆画で浮世の風俗を描き始める。後に菱川師宣が「一枚刷り」の木版画を確立し、庶民に普及させた。菱川師宣:『見返り美人図』初期 (18世紀初頭)単色の「墨摺絵」から、手彩色の「丹絵」「紅絵」へと進化。役者絵が人気を博す。鳥居清信(役者絵の創始者)中期 (1765年〜)鈴木春信により多色刷りの錦絵(にしきえ)が誕生し、表現が劇的に華やかになる。美人画や役者絵が最盛期を迎える。鈴木春信:『お仙とお富士』喜多川歌麿:『美人画』東洲斎写楽:『役者絵』後期 (19世紀〜)天保の改革による規制(1842年)で役者・遊女の絵が禁止され、風景画や武者絵が発展。葛飾北斎や歌川広重が登場する。葛飾北斎:『富嶽三十六景』歌川広重:『東海道五十三次』歌川国芳:『武者絵』終焉期 (明治以降)写真や石版画の普及により需要が激減。月岡芳年らが「最後の浮世絵師」として活躍。西洋へ渡りジャポニスムに影響を与える。月岡芳年:『無惨絵』小林清親:『光線画』歴史のハイライト創始の父:菱川師宣は、本の挿絵だった版画を鑑賞用の「一枚絵」として独立させ、浮世絵の基礎を築きました。フルカラーの衝撃:1765年に登場した錦絵は、それまでの数色刷りとは比較にならないほど鮮やかで、江戸の流行の最先端となりました。衰退の理由:明治時代に入ると、制作に時間のかかる木版画よりも、再現性が高く安価な写真や石版画が主流となり、娯楽としての役目を終えました。 まぁ、その後川瀬巴水らの新版画が登場して、新たな時代を築いたのだが… 春画という浮世絵とは切っても切り離せないジャンルを含む故に尚更芸術とか美術という概念に当て嵌めにくかった嫌いが有る。享保の改革までは普通に店頭に並べられていたようだが 笑 大衆、いわゆる女子供の喜ぶ物、或いは長屋の熊さんはっつぁんが楽しむような低俗な物は芸術の名に値しない取るに足りない物という認識だったのだろう。ところが、あれだけ日本の文化を切り捨てて、西洋化を進めた明治初期の人達が予期せぬ所で、浮世絵が日の目を見た。西洋に品物を送る際に包み紙に使用した浮世絵が西洋人達の目に留まり、その価値が評価されたのだ。実際ゴッホ達画家は浮世絵を模写までしている。 そして現在その浮世絵師の精神は、サブカルチャーを担っている漫画やアニメの世界で活躍する絵師(サブカルチャーに心酔する層から絵師と呼ばれているらしい)に受け継がれているのではと書かれていた。私も面白いは正義、ご立派な絵画の事は良くわからないが、漫画やアニメなら好きな作家や好きな傾向の絵は有る。ただそれを美術や芸術だと思って見た事がないだけで。江戸時代から200年も続いた浮世絵にしても、人々の評価はそんな物だったのだろう。しかし今や浮世絵は昨年の大河『べらぼう』もあってますます人気が出ているのではないか?学者?の間でもあれほど忌避されていた春画でさえ、再評価されているらしい。流石に春画について人前で話したり議論するのは恥ずか死ねる気がするので、私はパスだが 笑 というわけで、かなり読むのに難儀したが、面白い一冊だった。
うき世と浮世絵
内藤 正人
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